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掲載日
2017/11/20
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アズディン・アライアの思い出

掲載日
2017/11/20

 現代女性のシルエットの生みの親、アズディン・アライア(Azzedine Alaïa)が77歳で亡くなった。彼は”ファミリー”と食卓を囲むことをこよなく愛していた。名だたるスーパーモデルやセレブリティ、スター、アーティスト、そして大切なスタッフ達がアライアの”ファミリー”だ。パリ・マレ地区にある本社のキッチンで、ランチやディナーを共にするのが習慣だった。

Alaia at Galleria Borghese - Foto: Ansa


 ファッショニスタにとって、アライアの食卓に招かれることは一種の通過儀礼のようなものだ。アライアのキッチンでパンを切り分けたことのない者は、まだまだ業界では"もぐり"という具合だった。筆者は6度ほど参加したが、ナオミ・キャンベル(Naomi Campbell)にステファニー・シーモア(Stephanie Seymour)、ヤスミン・ル・ボン(Yasmin Le Bon)など、いつでもアライアの隣にはスーパーモデルの姿があったと記憶している。皆が彼を「パパ」と呼んだ。
 
 立体感のあるぴったりと体に沿った構築的なラインで、アライアは巧みに女性の体を再定義してみせた。小柄な人物ではあったが、その影響力は計り知れない。アライアは女性をスーパーヒーローに変えたのだ。初のランウェイショーから37年、そしてフランス文化省によりベストデザイナー・オブ・ザ・イヤーに選ばれてから33年が経つ。アライアはこの10年の間にも、ファーストレディやセレブリティ、歌姫に衣装を提供し続けてきた。「クリストファー・ケイン(Christopher Kane)」、「マリオス・ショワブ(Marios Schwab)」、「ローラン・ムレ(Roland Mouret)」、そして「ヴィクトリア・ベッカム(Victoria Beckham)」に至るまで、彼の影響を受けたデザイナーは数えきれないほどだ。

 1957年、「クリスチャン・ディオール(Christian Dior)」で働くため故郷のチュニジアからパリへやって来たアライアだが、わずか一週間で解雇されてしまう。その後「ギ・ラロッシュ(Guy Laroche)」や「ミュグレー(Mugler)」で経験を積み、1980年に自身のメゾンを立ち上げたが、並行して女優のグレタ・ガルボやパリのキャバレー「クレイジーホース(Crazy Horse)」の衣装も手掛けていた。「学校に入ってすぐ、自分は偉大な彫刻家にはなれないと悟った。そこで転向を決心したんだ。ファッションが好きだったから、簡単なことだった」とアライアは筆者に語ったことがある。彼は誰でも快く迎え入れ、シェフはキッチンのことをいつしか「パリ北駅」と呼ぶようになった。まるでアンディ・ウォーホルのファクトリーのように、ギャラリーでは多くのハプニングも企画した。

Azzedine Alaïa with Grace Jones - AFP/Georges Bendrihem


 個別にフィッティングを行うことを好む有名デザイナーは少ないが、アライアはこまめに顧客の対応をしていた。中東のプリンセスからハリウッドスターまで、喜んで顔を見せる。
 
 ロフト部分のアトリエには、レーザーカットのマクラメレザーでできたビスチェドレスが数ラック分、それにビスコースのリブカクテルドレスや、シグネチャーである鳩目のついたスエードのフードジャケットなど、素晴らしい服が所狭しと詰まっている。素晴らしい才能の持ち主であったアライアだが、変わったキャリアの持ち主でもある。公式スケジュール通りにコレクションを発表することを止めた時には、また海を渡って引き返さなければならないとアメリカ中の百貨店が震え上がった。
 
 筆者はアライアのショーに6回ほど立ち会ったが、今年の7月が彼の最後のランウェイとなってしまった。ジャック・ラング元文化相や「ルイ・ヴィトン(Louis Vuitton)」の二コラ・ジェスキエール(Nicolas Ghesquière)がフロントロウに姿を見せたショーでは、メタル、レザー、ニットを用いて存在感のある服を披露。スネークスキンジャケットや鳩目で繋ぎ合わせたコートドレスも見事で、400人の招待客からスタンディングオベーションを受けた。

Azzedine Alaïa - AFP/Archives / Gabriel BOUYS

 
 アズディン・アライアは、ディオール(Dior)やシャネル(Chanel)、スキャパレリ(Schiaparelli)らと共に、ファッションの殿堂に入ることになるだろう。
 
 アライアは特に、2015年に行われたローマでの展覧会、「Azzedine Alaïa. Couture / Sculpture」が気に入りだった。バロック様式のボルゲーゼ美術館を会場に、アライアの作品が古典彫刻と隣り合う演出は素晴らしかった。
 
 「私はこの美しい街を訪れた一人にすぎないが、私のファッションは故郷へ帰ったかのようだ」と笑ったアライアの誇らしげな様子は忘れられない。

 

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