2018/02/06
クリス・ヴァン・アッシュ、パリの20年
2018/02/06
昨今、一つのメゾンに10年以上留まることのできるデザイナーは非常に貴重だ。クリス・ヴァン・アッシュ(Kris Van Assche)は、「ディオール オム(Dior Homme)」で就任11周年を迎え、先日はパリのグランパレでテーラードとストリートスポーツスタイルをミックスしたコレクションを披露したばかりだ。

昨年「ディオール オム」は2桁台の増収を達成し、売上高3億5000万ユーロ(約473億1100万円)相当を計上している。エディ・スリマン(Hedi Slimane)の後継としてヴァン・アッシュがアーティスティックディレクターに就任したのは2007年4月のことで、その頃の年間売上高は1億ユーロ(約135億1700万円)足らずだった。ヴァン・アッシュはレッドカーペットでも数々のセレブリティを彩り、先日のショーでも高いテーラードの技術で以て、ムッシュ・ディオールの有名な「バー・ジャケット(Bar Jacket)をメンズに昇華してみせた。
彼が初めてパリの地を踏んだのは今から20年前、1998年のことだ。当時「イヴ・サンローラン(Yves Saint Laurent)」のメンズウェアを担当していたエディ・スリマンが声を掛けた。やがてスリマンが「ディオール・オム」へ移動すると、ヴァン・アッシュもそれに従う。
そしてスリマンが写真に専念すべくベルリンへ去ると、ちょうど自身のブランドを始めたばかりだったヴァン・アッシュに「ディオール オム」デザイナーとして白羽の矢が立った。

「今の時代、すぐにメゾンを移ることが当たり前になっている。シーズン毎に5つも交代劇があるんだ。昔は、トップレベルのブランドを任されるというのは本当に稀なことだった。皆に意地悪されたよ」とヴァン・アッシュ。
しかし徐々にメディアの反応も良くなり、売上も伸びた。5回目のショーでようやく、「アトリエを"ベルギーナイズ "にすることができた」という。「テーラードを裏表逆にしてね」。ヴァン・アッシュは本物の成功を収めた。
生まれ育った環境から言えば、パリとは縁もゆかりもない。ヴァン・アッシュはベルギーのロンデルゼールで育った一人息子だ。
「10歳の時、ファッションデザイナーになりたいと心の底から思った。ミュグラー(Mugler )とかゴルチエ(Gaultier)とか、エキセントリックなフレンチファッションを知ったからね。それから、アントワープにも行った。僕の故郷からは車で1時間半だ。それと比べたらパリなんて、12歳の子供にとっては火星に行くようなものさ。まあ、だから12歳の時からパリで学びたいとは思っていたんだよね。もっとも、両親は僕が自分の間違いに気づいて、2年後には銀行家でも目指すだろうと期待していたみたいだけど」と笑う。

そして3年前、ヴァン・アッシュが自身のブランドを休止し、さらに「ディオール オム」はセルジュ・ブランシュウィッグ(Serge Brunschwig)新CEOを迎えたことで、大きく歯車が動き出した。
「セルジュがトップに就いてから、僕らはもっと上を目指すようになった。新しいショップも沢山オープンしたしね。今や、僕は誰かの優先順位の上の方に位置しているんだ。以前はただ、大手メゾンのメンズ部門というだけだった」。
中でも重要なのは、「ブラックカーペット(Black Carpet)」のローンチだろう。レッドカーペットとステージウェアをミックスした新しいコンセプトで、プレコレクションごとに10ルックのカプセルコレクションを発表している。
「あるスターが電話をくれて、ブラックのスパンコールジャケットの注文を受けたんだけど、僕にその用意が無かったことがある。ちょっと単純すぎるとも思ったしね。だけど彼とは良い関係だったし、やりたくないことにも練習だと思って取り組んで、そこから面白いものを作り出す必要があると自覚したんだ。今となっては、『ブラックカーペット』をすごく誇らしく思っているよ」とヴァン・アッシュ。
(2018年2月6日現在、1ユーロ=135円で換算)
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